てるりん祭のおもひで(その3)

 まだ途中だったすね。限りあるオイラの記憶装置。早く書いておかないと先入れ先出しで押し出されてしまいます、の。

 すっかり日も落ちてステージの背後に覗くパルミラ通り上の空は黒い闇。この時には雨はもう上がっていたと思う。
 奄美唄者、坪山 豊登場。今回のてるりん祭は奄美の水害救援チャリティーとしてもともと動いていたようなので、その流れでの登場かな。同じ三線なのに全然違う奄美の音楽。メロディラインもリズムも三線と唄のアンサンブルの響きも。こうやって並んで聴くとよくわかるね。ワイド節を作曲したのがこの坪山豊なのですね。そんでもってその歌詞を書いた中村民郎が勤めていたのが和光園。あれ?奄美の和光園と言えばとちょっとググってみたら、私の大好きな日本画家・川村一村が交流を持っていたところだよね。へぇ〜、そんなところが繋がるんだ。
 そして、知名定男。「自分が唄うのは情け唄ばかりで、なかなかこういう場で唄うようなのが無いのですが」と、軽く場を和ますような笑いをとったりして数曲じっくりと聴かせる感じで。その後はたったいま東京から戻り那覇空港からかけつけたという大工哲郎が登場。昔、八重山を襲った大津波の話をして「ゆばなうれ」という「世が直りますように、世が良くなりますように」という言葉が入った唄を歌います、と。その目で心で体験してきた気持ちから出る思いが唄に乗っているのを感じた。安里屋節とかも歌ったかな。

 少しずつスーパーにも商品が戻ってきたけど、やっぱり節電モードは変わらず暗い冷蔵ケース。JRも昼間は車内灯を消しているのでガード下とかに入ると不意に暗闇につっこまれた気分。隣の人の顔も見えない。ま、でも電気で走って無かった時代はこれが普通だったんだろうって思ったり。沖縄に着いてからついつい、くせで階段を使って「あ、ここはエスカレーター動いてたんだ」と、登りきってから思い出したり。人はなんだかんだいいながら環境に慣れるもんなんだよね。
 浦安の知り合いが一か月ぶりに上水道が出たと喜んでいた。でも、まだ復旧していない場所もいっぱい。東京のそばでもそんな場所がいっぱい。友人の仕事先はビルが危険な状態でまるごと引っ越した。都心のお茶の水
 先週末、東京から関西にやってきた友人たちも「コンビニの棚に全部商品が充実してて、明るくて、無いものが無いってなんか新鮮で感動。前はこうだったんだなぁ」っと、ポツリと漏らしていた。
 なんか、沖縄や大阪に居るとそういったことをふと忘れてしまいそうになるけど、やはり私の中にはその状況はリアルに今この瞬間も心のどこかが感じている。正直に言うと、今まであった震災の時には私の中にもこんなリアルは無かった。もちろん被災地のあのリアルは無いけど、十分関東も被災の影響は色濃くてさ。見ると聞くとは大違いというけど本当だなと。なんでも生身で感じるってのは大事。
 ここには書かないけど、もっとシビアに命にかかわる問題もリアルに迫っている。全然終わってなんていない、長い長い始まりだと私は感じている。でも、それでも人々は一歩一歩手さぐりながらも進んでいる。私も私の時間を生きながら…。

 さて、話をてるりん祭に戻そう。最後は真打登場なりで、もちろん登川誠仁でございます。最近、必ずセットで登場する仲宗根創ももちろん横に控えて。去年、大森?あたりのホールでやったLive以来だ。緑の沖縄(だったっけな?)などお馴染みの曲を次々と披露。
 しかーし、オイラの集中力は赤色点滅状況で、電圧低下も激しくあんまりよく覚えてない…。トホホ。そういえば、ふと周りを見たときに東京の知人に良く似た人を見つけて、でも「まさかや〜?」と。ま、結果本人でしたがそういう登場が予想できない人ではないので「おぉ〜、いつの間に来てたの?」って。

 そしてフィナーレは、園田エイサー。三列目とかに座っていたので目の間で打ち鳴らされる臼太鼓の迫力、アーケードに響き渡る音、音、音の渦でクラクラ。全身に泡立つように鳥肌がたった。あれだけ数のある太鼓の音がピタっとひとつに聞こえる。それがどれだけ凄いことか。
 園田のエイサーは、去年のお正月明けくらいに東京ドームであった「ふるさと祭り」で見たのだけど、あの広い会場では音も何もかもが遠くていまいちその凄さが実感できたいなかった。動きの揃い方なんかは遠目だから全体を俯瞰してよくわかったけど、迫力と体を震わす響きとヴァイブレーションはさっぱりだったのだね。
 太鼓の、唄三線の、ハヤシの、その音と振動が空気を体をそして心を揺さぶる。何か流れが悪くなって滞っていたものが、流れて昇華する気分を味わった。波動って凄いねぇ。にゃぁ〜るほどねぇ、本場のエイサーはやっぱり凄いって今回一緒に来る筈だった友人Sが言っていたのだけど、やっぱり何も隔てるものが無いLiveだね。あー、もー、唄三線の神様ありがとうごじゃいまする〜。
 エイサーの後は、かちゃーしーで締め。よなは徹と園田の地謡の人だったかな?あれ、誰だっけ?その人、その後会ったかも?かも?んん、もしかして…


 終わってから東京から来てスタッフをやってた知人と一緒に椅子やテーブルを片づけるのを手伝ってから、mk宅に戻った。もうその頃には、オイラってば耳から白い煙をモハモハと出してすっかり燃え尽きていた模様ww
 ただ、楽しんでいただけなのにね。

 こんな素敵な時間を提供してくれた、てるりん祭実行委員の人たち、コザの街、出演者の人たち、そして一緒に楽しんでいた人達、みなさんどうもありがとう。ホントに感謝です。来年もタイミングが合えば、是非その時間をあの場所で過ごしたい。来年ってば、平成24年第4回の4月4日で、4が四つ並ぶねぇ。