そして、四年の歳月が流れた。

 今日で三線を手にして丸4年。写真は4年前の今日、友人が貸してくれた練習用の三線。この出会いが運のつきで、気が付けば今ここに私はいる!ww

 それは、忘れもしない9月の頭の西表は白浜の海人の家の裏庭でのこと。すべてのダイビングを終え、器材を水洗いして洗濯物を干したりしていた夕方。やや黄みを帯びてきた日差しの中、カナカナカナとヒグラシの合唱が響く。そのんな中、生い茂る木々の隙間から、ティン・トン・シャンとゆったりと響いてきた三線の音。まだまだ残る昼の熱気と、冷たい水、ジャングルのざわめきに包まれ心地よい疲労感に心も自然とオープンになっているときにその音はスルっと入ってきた。あー、なんかいいなって思った。
 「私、帰りに那覇三線買って帰ろうかな?なんか3万くらいで一式買えるみたいだし」と、つい口から出た。それを聞いた友人Yは、「待て待て!私が全然使っていない練習用の三線あるから、とりあえずそれ貸してあげるから買うのは待て」と。
 東京に戻ってから、いそいそと車を走らせて三線を受け取りに行ったのが四年前の今日だった。沖縄の音楽とかもあまりよく知らなかった。ただ、ただ、その三線という楽器を触って音を紡いでみたかった。いやぁ、思えば遠くへきたもんだww

 まぁね、途中何度もダークゾーンに落ち込んで向いてないかもと投げそうになったり、大好きな先生の授業が無くなってやる気も失せて3か月間一回も三線触らなかったりとか、離島に住み込みで仕事しに行ったりとか、そんなこんなもあったけど、その度にカンフル剤を打たれるようなコトが起こってやる気を取り戻し…、気が付けば今ここに居る。たかが4年、されど4年。ここに至るまで唄三線的な人・物・コト、色々な出会いがあり、それは何物にも代えがたい大いなる感謝です。
 唄三線的なことを、ほっとんど知らずに始めた私ですがまだまだ知らないことばかり。大体、「沖縄」ってモノゴト自体まだ数年の経験値。自慢じゃないが20世紀のアタシはオキナワなんて社会の授業で習った程度のことだった。そんな私でもこうやって色々面白いことを体験して、感じて、思って、開いて、飛んで。三線に出会えて、ほんと良かったと思う。やっとスタートラインに立ったばかり。自分の中でのゴールラインは、生きてる間に行けるかどうかも分からないはるか彼方ですがそこを目指して、寄り道もしつつ楽しんで行きたい。

 すべてはね、繋がってるんだね。その繋がりの一番先が今、ここにあるということ。ありがとうございます。